言語と非言語

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お久しぶりです。

 


陸上競技選手の中には、理論派と感覚派で分類される。

 


理論派の最たる例はカールルイス。

 


トムテレツ式と言われるコーチとの走りの言語化によって、金メダルを確実に獲る走りを可能にした。

 


オリンピックで勝ち、世界陸上でも勝ち、スプリント史上に名を残すアスリートとなった。

 


感覚派の例はウサインボルト。

 


彼は自分の持った体を最大限活かして、ハードワークの中で培った感覚をレースで存分に発揮した。

 


芝生でのスプリントトレーニングは密着取材でたびたび目にしただろう。

 


このように一つの種目に2つのアプローチを持って競技に向かっているように見える。

 


ただ、ここに疑問が出てもおかしくない。

 


その中間はないの?

 


大学生になって凄く敏感に感じるようになり、自分は敢えてその中間を求めた。

 


理由は至って簡単。

 


感覚には理論で習得できるものもあると気がついたから。

 


私たちは、感覚は才能、理論は知識と知らぬ間に考えてしまいがちだ。

 


しかし、そうなると両者は相容れない存在となってしまう。

 


果たしてそうなのか。

 


日本のスプリント界には、その両者を兼ね備えた末續慎吾選手がいる。

 


多くの人は、彼は感覚派と思っているが、理論の一面も備えている。

 


例えば、ブロックのセッティング。

 


ロケットスタートで一躍有名になったが、コンマ0秒を争う世界にリアクションタイムは必須である。

 


そのスタートを決める中で、重心移動のスムーズさは重要であり、理論上最も効率よく行えるのがロケットスタートである。

 


接地の感覚やナンバ走りで感覚派とされていた末續さんだが、キチンと理論の面も備え持っており、一概に感覚派にまとめるのは不思議に思う。

 


長距離も同じだと思う。

 


現代では科学が進歩して、スポーツ科学という分野も立ち現れた。

 


しかし、オリンピックを見ていると中には決して効率の良いフォームに見えない選手も多くいて、トレーニング理論の枠を超えて感覚をも備えて勝つアスリートがいる。

 


レーニングの方針を立てるとして、果たして今までの内容で良いかを考えた時に、この両者は共存できるというスタンスで考えると、練習に幅がうまれるはず。

 


イメージと言葉、絵に描いてみると2つはちゃんと存在するし、より具体的なものとして見える。

 


区別をすることも大切だけど、線引きの間にある隙間に注目することで陸上競技はもっと楽しくなる。