生きるために走る
こんにちは。更新が滞っていました…
今回は生きるために走る事について。
これ、私たち日本人にはあまりない感覚です。
知らないと思いますが、オリンピアンであっても今だに貧困で苦しんでいる選手もいます。
彼らは試合で勝つことで賞金を得て、契約を維持し、ローカルな大会にもお金をもらって出場することで生計を立てています。
それがないと明日食べるものがなくなってしまう恐れもあるからです。
その点、私たちは恵まれていると思います。
出たい試合に出ることができ、市場にはシューズやウエアで溢れかえっている。
だからこそ、海外事情を知る必要も無くなってしまうし、現に情報も入ってこない。
実業団で活躍選手している海外選手は多くいますが、彼らの中には走ってとにかく母国の家族に仕送りし続けることで生きている選手もいます。(誰とは言いませんが)
そうしたこともあり、オリンピックで強い人は本当に強い。
そして、インタビューや投稿で伝わってくる信念がぶち抜けている。(見てみてください)
何ならガトリンとかだってあまり裕福な家庭ではなかった。
そういう人たちは、勝つ事にこだわります。
その中で数字が現れる。
有名な選手が世界大会の準決で消えない(順当に残る)のはそういう理由もあるかと思います。
母国を背負う前に自分の生き方に関わる。
後者を成し遂げたとき、その場を与えてくれた国に感謝する。
だから、アフリカ勢は勝ったら旗を掲げる前に神に祈るんだと思います。
信仰は家の中で引き継がれていきます。
バチカン市国とかじゃない限り国教じゃないですからね。
話は少し逸れましたが、やはり家族単位の中で陸上競技が位置付けられているように感じます。
海外では『NIKE切り』なんて揶揄されるくらい契約問題がコロナによって顕在化しました。
正直、そこらのスポンサーなんかより遥かにスポーツメーカーとの契約の方が命がかかってまいます。
海外選手の中には家庭が苦しすぎた結果、契約したメーカーからの支給品を転売するケースもありましたからね…(sushimanさん談)
流れとしては、
生きるため→陸上競技をする→勝つ→お金(スポンサーや賞金)→安定化
また他にも、海外でのローカルな試合では、勝つと商品とともに来年度の招待選手に選ばれる権利もあります。
また来年も出れば、商品を手に入れるチャンスが得られる。
そんな感じで、陸上競技を媒介として生活を確保していくのです。
それを考えると、どれほど日本にはチャンスがあるかはわかりますが、賞金問題については大迫さんが過去に指摘していましたね。
陸上競技=生活と考える人は、日本では新谷選手が挙げられると思いますが、実業団を深く深く探っていくとそういった選手が多いと思います。
ただ、日本にはセカンドキャリアが不透明な問題もあり、そうした諸問題と生活がどうしても関連して複雑化しているのが現状です。
日本陸連も後進の育成に積極的で、生きていくための陸上競技の施策は行っていますが、改めて1人1人が考える事で大きな変化をもたらすと思います。
トップアスリートが声を上げる影響力も大きいとは思いますが、彼らにも生活が表裏一体で存在し、その中で競技と向き合っている事を知ってもらえると嬉しいです。(こんな分際で言うのも躊躇われますが)
その考えを理解してから、試合に出ることの意味を捉え直し、30とか40過ぎたセカンドキャリアは長距離でもやりたいなと思います。笑
ローカルな大会でも商品は必ずあります。おじさんたちが商品目指して走る姿は、生活と走ることが実は結びついた一種の象徴ではないでしょうか?
だから、今日も明日もその先も走り続けたいと思います。
真面目な話をつらつらと語りましたが、オリンピックも近いので改めて考えていきましょう。